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景福宮

景福宮は朝鮮王朝の正宮として518年の歴史があります。2017年現在までは625年の歴史がありますこの宮は朝鮮を創始者である太祖、李成桂が高麗の首都を移転した際、新しい王朝の宮殿として1395年に建てられたものです、ソウルはハンソン(漢城)と呼ばれました 

 

休み:毎週火曜日

無料ガイド案内:日本語:10:00 12:30 14:30 (案内室前)(韓国のお正月、旧盆は休み)

単体(10人以上は予約必要(02、3700-3900 日本語可能)

所要時間:1時間 -1時30分くらい

入場料:3.000ウオン(19才-64才)65才以上は無料 

入場料:1.500ウォン(7才-18才)

6才以下は無料

勤政殿(クンジョンジョン)

景福宮の受朝正殿で文武百官の朝賀を始めとする国家の儀式を行い、外国の使臣を接見する法殿として太祖3年(1394)に創建された。その後壬辰倭乱の時、燃えてしまったのであるが、高宗4年(1867)に再建された。第2代目の定宗、第4代目の世宗、第6代目の端宗、第7代目の世祖、第9代目の成宗、第11代目の中宗、第13代目の明宗などの国王がここで即位した。 勤政殿は、上下の月台の上に2階をあげた巨大な建物である。内部は、上下の区切りがないため、広くて高い。

慶会楼(キョンフェル)

国寝殿領域の西にある、池の中に作られた2階建ての楼閣である。王と家臣が参席する重要な宴を催したり、外国使臣を接待するために建てられた。 その為、公式的な行事の時以外は誰も立ち入ることができなかった。景福宮創建当時は小さな樓閣だったが、太宗 12年(1412)に大きく池を掘り、現在のような規模になった。現在の慶会桜は、高宗 4年(1867年に)再建されたものである。 慶会桜は48本の花崗岩でできた石柱でささえられている

勤政殿の玉座

太宗と世宗は勤政殿で即位する。登極する時、王世子は冕服を着て濱殿で大宝を受け、端門に出て即位、群臣のお祝いを受ける。御座に座って初めのあいさつをもらう。こらが新しい王様としての最初の行事なのである。世宗は勤政殿の国の上老人たちを招いて養老宴を施したこともあった。また六鎮開拓の功のある将士たちのためにも宴を施したのである。君臣間の心の暖かさがこの御座にまだ残っているようである。高宗の時、再建されながらもこれも新たに作られた、工曹に所属した小木たちが心を込めて作り出した当代最高の作品である。日月の五屏が玉座の後に、天井にはダッチップがあり、玉座の前には宝欄と宝階が設置されている

康寧殿(カンニョンジョン)

この建物は王の寝殿である。世宗15年(1433)に建物を拡大、改築したが、明宗8年(1553)に火災に見舞われ、さらに壬辰 倭乱の際に完全に焼失した。高宗4年に再建されたが。1876年に再び火災にあった。 1917年に昌徳宮の寝殿が焼失した際、再建の木材を調達するために、この建物は撤去された。現在の建物は1995年に復元された

思政門(サジョンジョン)

光化門、弘礼門、勤政門、思政門、思政殿、康寧殿が南北の子午線に従って建物が順に正しく配置された景福宮の建物の配置原則で、宮中の奥深い所に位置していて、東の方の万春殿、西の方の千秋殿と共に便殿一廓を成している。まわりには行閣などが設けられていてきちんとした長方形の庭を持っている。思政殿の後門に出ると、王の寝殿である康寧殿がある。太祖大王が景福宮が初めに経営した時に便殿の名は報平庁で あったが、世宗大王の時に思政殿と改称されたようである、壬辰倭乱の時に燃えたが、高宗4年(1867)に再建して現在の姿になった。 高い三段の台(三段に積み重ねた石)の上に建てた小規模の建物として、正面5間、側面3間で、内七包外五包で?包を構成した多包家である

交泰殿(キョテジョン)

この建物は王妃の寝室である。正面9間、側面4間で中央には板の間を置き、左右はオンドルの部屋になっている。特に建物の東側の後面に庁と部屋を張り出し裏庭の峨嵋山とつなげたことが特異である。1920年に日本人の手によって撤去され、現在の建物は1995年に復元された

千秋殿(チョンチュジョン)

思政殿の左右に規模と構成が同じ殿閣を建てて対称にして、東の方の家を万春殿、西の方の家を千秋殿と呼んだ。 万春殿と千秋殿は思政殿といっしょに壬辰倭乱の時に燃えたものを高宗4年(1867)に再建された。 世宗大王が集賢殿の学士たちと色々な新しい文物を創製する時、この殿閣をよく利用したので、韓国民族暢達の一つの産室になった。観天と測雨の機械を設けた欽敬閣・報漏閣などがこの千秋殿の西の方と北の方

王宮守門将交代儀式

朝鮮時代、王宮には、宮廷の警備や護衛をする禁軍の下に「守門軍」という軍隊が存在し、王宮の門の開閉、警備をしていました。その守門軍の交代儀式を再現したのが、「王宮守門将交代儀式」です。 守門将は、決められた手順により宮城門を開閉し、勤務を交代することによって、当時の国家の中心である国王と王室を護衛し、国の安定に貢献しました。この行事の時代背景は、守門将制度が確立された15世紀朝鮮前期のもので、 歴史記録をもとに、守門将たちの服装や武器もそのまま再現したそうです。儀式の合間には、守門将の衣装を着て記念写真を撮ることもできます 10時 14時 2回

住所

ソウル市 鍾路区 社稷路161

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